六本木の由来とは?地名の語源となった二つの有力説を徹底解説

高級ブランド店や巨大なオフィスビル群、そして夜の繁華街として、東京を代表するエリアである六本木。

この大都会の中心地に、なぜ自然を感じさせる「六つの木」という素朴な名前が付けられているのか、不思議に思ったことはないでしょうか。

結論から言えば、六本木の由来には大きく分けて二つの有力な説が存在します。

 

一つは、かつてこの地に「六本の古い松の木」があったとする説。

もう一つは、江戸時代にこの周辺に「木」の字が付く六つの大名屋敷があったとする説です。

どちらの説も江戸時代の書物などに記録が残っており、現在でも港区などの公式な郷土資料では両論が併記されています。

この記事では、六本木の語源や地名の成り立ち、江戸時代から現代へと至る劇的な歴史の変遷まで、知的好奇心を満たす情報を詳しく紐解いていきます。

由来の主な説 内容の要点
六本の松の木説 かつてこの地に目印となる大きな六本の古い松の木が生えていたという説。
六つの大名屋敷説 江戸時代、周辺に「木」の字が付く六つの大名屋敷があったことにちなむ説。
確からしさ 明確な決定打となる一次資料はなく、現在でもこの二説が併記されている。

六本木の由来を先に結論から解説

地名のルーツを探るうえで、六本木は非常に興味深い成り立ちを持っています。

まずは、現在もっとも有力とされている由来の結論から見ていきましょう。

地名のルーツとされる二つの有力な説

六本木という地名の由来については、港区の公式な見解や歴史資料においても、明確に一つに断定されていません。

古くから語り継がれている説は、主に以下の二つです。

  • 六本の古い松の木があったからとする「松の木説」
  • 「木」の字が含まれる六つの大名屋敷が存在したからとする「大名屋敷説」

地名の由来において、地形や植物などの自然の目印から名付けられるケースと、その土地を所有していた有力者や建物の名前にちなむケースは、どちらも頻繁に見られます。

六本木の場合、この両方の条件を満たすような歴史的背景が存在していたため、現在に至るまで「二つの有力な説がある」という状態で定着しているのです。

六本木の由来をめぐる二つの説の詳細

二つの説は、それぞれどのような根拠や背景を持っているのでしょうか。

江戸時代の様子を想像しながら、それぞれの説を詳しく検証していきます。

六本の古い松の木があったとする説

一つ目の説は、文字通り「六本の木が生えていた」という非常にシンプルで分かりやすいものです。

江戸時代の初期、現在の六本木周辺には松の木が多く茂っていました。

その中でも、特に大きく立派な六本の古い松の木があり、それが人々の目を引き、道標のような役割を果たしていたと言われています。

当時の人々にとって、遠くからでも目立つ大きな木は、現在でいうところの電波塔や高層ビルのような重要なランドマークでした。

「あの六本の松の木があるあたり」という呼び名が、やがてそのまま地名として定着していったという解釈です。

地名の名付け方としては非常に自然であり、民間語源としても古くから広く親しまれてきた説です。

「木」がつく六つの大名屋敷があったとする説

二つ目の説は、言葉遊びのような面白さを持つ歴史的な逸話です。

江戸時代、武家屋敷が立ち並んでいたこの地域には、偶然にも名前に「木」という漢字が含まれる六つの大名家の屋敷が集まっていました。

その六つの大名家とは、以下の通りです。

  • 青木家(あおきけ)
  • 一柳家(ひとつやなぎけ)
  • 上杉家(うえすぎけ)
  • 片桐家(かたぎりけ)
  • 朽木家(くつきけ)
  • 高木家(たかぎけ)

これらの大名屋敷が立ち並んでいたことから、町の人々が洒落を効かせて「木が六つある町」という意味で「六本木」と呼び始めたというのです。

江戸時代の町人文化には、言葉遊びや粋な表現を好む気風がありました。

そのため、この知的なユーモアを含んだ大名屋敷説は、歴史ファンの間でも非常に人気が高い由来となっています。

比較軸 松の木説 大名屋敷説
名付けのきっかけ 視覚的なランドマーク(自然の風景) 屋敷の所有者の名前に含まれる漢字
特徴 地名の成り立ちとして極めて自然で普遍的 江戸の町人らしい言葉遊びと洒落っ気がある
現在の評価 古くからの伝承として有力 歴史的背景と合致する興味深い説として有力

六本木の地名の成り立ちと歴史

由来となった説の背景には、六本木という街が歩んできた独特の歴史があります。

どのような過程を経て、現在のような街へと発展していったのかを見ていきましょう。

いつから「六本木」と呼ばれているのか

「六本木」という名前が歴史上の文献に登場し始めたのは、江戸時代前期の寛文年間(一六六一年〜一六七三年)頃だとされています。

それ以前の古い地図や記録には「六本木」という名称は見当たらず、この頃から徐々に地域を指す名前として使われ始めました。

そして江戸時代の中期頃には、正式な地名として「六本木町」という名前が定着したと考えられています。

つまり、六本木という地名は約三百五十年以上の歴史を持つ、由緒正しい名前なのです。

江戸時代の六本木はどんな場所だったか

現在の六本木は商業施設や高層ビルが密集していますが、江戸時代の景色はまったく異なっていました。

当時の六本木は、江戸城の城下町の外縁部に位置する、静かな武家地と寺町でした。

  • 広大な敷地を持つ大名屋敷や武家屋敷が点在していた。
  • 多くの寺社仏閣が建立され、緑豊かな閑静な環境だった。
  • 起伏に富んだ台地であり、坂道が多い地形だった。

華やかな町人文化の中心地であった日本橋や浅草とは異なり、武士たちが静かに暮らすエリアだったのです。

現在でも六本木周辺に「芋洗坂」や「鳥居坂」といった古い坂の名前が多く残っているのは、当時の武家地の名残です。

明治以降の軍都化と現在の繁華街への変遷

江戸時代が終わると、六本木の街の性格は劇的に変化していきます。

近代以降、六本木がどのような道のりを歩んできたのかを時系列で整理します。

  1. 明治時代の軍用地化:広大な武家屋敷の跡地が政府に接収され、大日本帝国陸軍の駐屯地や関連施設が次々と建設された。六本木は「軍隊の街」となった。
  2. 戦後の米軍接収:第二次世界大戦後、焼け野原となった六本木の軍事施設跡地は、アメリカ軍に接収された。「ハーディー・バラックス」などの米軍施設が造られ、外国人が多く集まる街へと変貌した。
  3. 娯楽文化の流入:米軍関係者を相手にする飲食店やジャズクラブ、バーなどが立ち並び、異国情緒漂う夜の繁華街としての顔を持つようになった。
  4. テレビ局の開局と文化の発信地:昭和三十年代にテレビ朝日(当時の日本教育テレビ)が開局。多くの業界人や文化人が集まるようになり、最先端のカルチャーを発信する街となった。
  5. 巨大複合都市への再開発:二〇〇〇年代に入ると、六本木ヒルズや東京ミッドタウンといった大規模な再開発プロジェクトが完了。IT企業や外資系企業が集積する、現在のようなビジネスと商業の中心地が完成した。

このように、六本木は「武家屋敷」から「軍事施設」「米軍基地」「夜の繁華街」、そして「巨大ITオフィス街」へと、時代ごとにまったく異なる顔を見せながら進化を続けてきました。

六本木にまつわる関連雑学

六本木の由来を知ったうえで、さらに人に話したくなるような関連雑学をいくつか紹介します。

現在の風景と歴史的な背景を重ね合わせると、街歩きがより楽しくなるはずです。

伝説の松の木はどうなったのか

もし「六本の松の木」が地名の由来だったとして、その木は現在どうなっているのでしょうか。

残念ながら、由来となったとされる六本の松の木は、とうの昔に失われています。

江戸時代の書物の中には、すでに幕末の時点で「木は枯れてしまって残っていない」と記しているものもあります。

長い歴史の中で、火災や都市開発の波に飲まれ、地名のルーツとなった木々は土へと還っていきました。

しかし、形ある木は失われても、「六本木」という名前だけが現代に生き続けているという事実は、なんともロマンチックな話です。

現在の六本木ヒルズと大名屋敷の深い関係

六本木のランドマークである「六本木ヒルズ」の敷地も、江戸時代は大名屋敷でした。

ここには長門国長府藩(現在の山口県下関市周辺)の藩主であった、毛利家の上屋敷が存在していました。

実は、六本木ヒルズの中にある美しい日本庭園「毛利庭園」は、当時の大名屋敷の庭園跡地を整備して造られたものです。

高層ビル群の足元に、江戸時代から続く池や木々が残されていることは、あまり知られていない驚きの事実です。

由来の項で紹介した六つの大名(青木、一柳、上杉、片桐、朽木、高木)ではありませんが、六本木がいかに大名屋敷と深い縁を持つ土地であるかがよく分かります。

数字+木がつく他の地名との比較

日本全国を見渡すと、数字と木を組み合わせた地名は意外と多く存在します。

代表的なものとして、次のような地名が挙げられます。

  • 一本木(いっぽんぎ):全国各地に存在。一本の大きな目立つ木があったことが由来とされることが多い。
  • 三本木(さんぼんぎ):青森県や宮城県などに存在。やはり三本の木が目印となっていたという説が一般的。
  • 五本木(ごほんぎ):東京都目黒区の地名。かつて五本の立派な松の木があったことが由来とされる。

このように並べてみると、数字の付く木の地名は、単純に「そこに生えていた特徴的な木の本数」に由来するケースが圧倒的に多いことが分かります。

この事実を踏まえると、六本木の由来に関しても、言葉遊びの「大名屋敷説」よりは、物理的な景観に基づいた「六本の松の木説」のほうが、地名の成り立ちとしては自然で説得力があると考えられます。

六本木の由来でよくある誤解

六本木の由来について調べる際、時折見かけるのが「六本の欅(けやき)の木があったから」という誤解です。

六本木ヒルズの周辺には「けやき坂」という有名な通りがあり、冬のイルミネーションの名所として知られています。

そのため、現代の風景に引きずられて「六本木の名前の由来もケヤキだったのではないか」と勘違いされることがあります。

しかし、由来として語り継がれているのはあくまで「松の木」です。

けやき坂は、再開発に伴って植林され整備された比較的新しい通りであり、江戸時代の地名の由来とは無関係ですので注意が必要です。

六本木の由来に関するよくある質問

六本木という地名の由来は何ですか?

明確な由来は不明とされていますが、主に二つの有力な説があります。一つは、かつてこの地に六本の古い松の木があったとする説。もう一つは、江戸時代に周辺に「木」の字が付く六つの大名屋敷があったとする説です。

六本木の由来となった六つの大名とは誰ですか?

大名屋敷説に登場するのは、青木家、一柳家、上杉家、片桐家、朽木家、高木家の六家です。これら全ての大名家の名前に「木」が含まれていたため、「六本木」と呼ばれるようになったと言われています。

六本木には昔、本当に木があったのですか?

江戸時代の初期には、現在の六本木周辺に大きな松の木が生い茂っており、その中でも特に目立つ六本の松があったと伝えられています。しかし、幕末の頃にはすでに枯れて失われていたという記録が残っています。

六本木という名前はいつ頃から使われていますか?

江戸時代前期の寛文年間(一六六一年〜一六七三年)頃から、文献や記録に「六本木」という名称が登場するようになりました。その後、江戸時代中期には「六本木町」として正式な地名として定着しました。

六本木の地名の由来に確定した説はあるのですか?

港区の公式な郷土資料などでも、松の木説と大名屋敷説の両方が併記されており、どちらが真実であるかを完全に裏付ける一次資料は発見されていません。そのため、現在でも確定した一つの説はなく、二つの有力説が存在するという状態です。

六本木の由来まとめ

華やかな大都会である六本木の名前の裏には、江戸時代から続く二つの興味深い由来が隠されていました。

風景の目印となった「六本の松の木」と、言葉遊びから生まれた「六つの大名屋敷」。

どちらの説も当時の人々の生活の息遣いを感じさせ、歴史のロマンを掻き立ててくれます。

武家屋敷から始まり、軍隊の街、異国情緒あふれる繁華街、そして最新鋭のIT都市へと、六本木はすさまじいスピードで姿を変え続けてきました。

しかし、どれほど街の景色が変わろうとも、「六本木」という自然を感じさせる名前だけは、三百五十年以上もの間、色褪せることなく受け継がれています。

次に六本木を訪れた際は、高層ビルの狭間にあったかもしれない六本の松の木や、立派な門構えの大名屋敷の姿を少しだけ想像してみてください。

いつもとは少し違った、奥深い街の魅力が見えてくるはずです。