家電量販店のテレビ売り場に立つと、ずらりと並んだ画面に「55型」「65インチ」といった文字が躍っている。
自転車のタイヤにも「26インチ」と書かれているし、ピザを頼むときもMサイズやLサイズの横にさりげなくインチ表記があったりする。DIYに挑戦して「インチネジ」と「ミリネジ」の違いに泣かされた経験を持つ人もいるはずだ。
日本はメートル法の国。長さはセンチメートルやミリメートルで測るのが当たり前だ。
それなのに、なぜ特定のジャンルだけ頑なに「インチ」が幅を利かせているのか。しかも1インチ=2.54センチメートルという、なんとも計算しづらい中途半端な数字で。
このモヤモヤを晴らすため、インチという言葉のルーツをたどってみた。
行き着いたのは、古代ローマの言葉と、中世イギリスの「大麦」、そして人間の「親指」という、なんとも人間くさい歴史だった。
「インチ」の由来を先に結論から解説
まずは、いちばん知りたい「なぜインチというのか」という疑問に答えを出しておく。中途半端に思えるこの単位も、語源を知れば少しだけ腑に落ちる。
語源はラテン語の「12分の1」
インチ(inch)の語源は、古代ローマで使われていたラテン語の「ウンキア(uncia)」という言葉だ。
ウンキアの意味は、シンプルに「12分の1」。
昔のヨーロッパでは、大人の足の大きさを基準にした「フィート(foot)」という長さの単位が広く使われていた。その1フィートを12等分した長さを、ラテン語で「12分の1」を意味するウンキアと呼んだ。
これが時代とともに古英語の「ynce(インチェ)」へと変化し、最終的に現在の「inch(インチ)」という発音に落ち着いた。
つまり、インチという言葉自体には「長さ」という意味はまったく含まれておらず、ただの「12で割ったうちの1つ」という割合を示す言葉でしかない。
3秒で分かるインチの由来早見表
ここまでの要点と、これから解説する面白い雑学をざっくりと表にまとめておいた。急いでいる人はここだけ見ても大枠がつかめるはずだ。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 語源 | ラテン語の「ウンキア(uncia)」 |
| 名前の意味 | 12分の1(1フィートの12分の1だから) |
| 長さの由来 | 大人の親指の幅。のちに「大麦3粒」の長さに変更 |
| 同じ語源の言葉 | オンス(ounce)※重さの12分の1 |
| 現在の長さ | 厳密に 25.4ミリメートル |
| 日本の漢字 | 吋(口へんに寸) |
インチの長さの基準はどうやって決まったのか
語源が「1フィートの12分の1」だということは分かった。では、そもそもその長さはどれくらいなのか。1インチ=2.54センチメートルという数字は、どこから湧いて出たのだろうか。
歴史を紐解くと、基準の決め方はかなり大雑把だったことが分かる。
- 古代〜中世前期:大人の親指の付け根の幅
- 中世後期(1324年):大麦の粒を3つ並べた長さ
- 現代(1958年):国際協定によりミリメートルで厳密に定義
それぞれの時代で、人びとがどうやって基準を定めてきたのかを見てみよう。
古代は「大人の親指の幅」だった
大昔、定規なんて便利なものがなかった時代、人びとは自分の身体を使って物の長さを測っていた。これを「身体尺(しんたいしゃく)」と呼ぶ。
1インチの基準として最初に使われたのは、「大人の男性の親指の付け根の幅」だった。
自分の親指の第一関節あたり、いちばん太い部分の幅を測ってみてほしい。だいたい2.5センチくらいにならないだろうか。これが元々の1インチだ。
ヨーロッパの多くの言語で、今でもインチと親指は同じ言葉で表現される。たとえばフランス語の「pouce(プス)」や、スペイン語の「pulgada(プルガーダ)」は、どちらも「親指」と「インチ」の二つの意味を持っている。
王様が定めた「大麦3粒」のルール
親指の幅で測るのは便利だが、致命的な欠点がある。人によって親指の太さが違うのだ。
大柄な人が測った1インチと、小柄な人が測った1インチでは長さが変わってしまう。これでは商売をするときに揉め事が絶えない。「お前の1インチは短すぎる。ズルをするな」というわけだ。
そこで14世紀初頭、イングランド王のエドワード2世が、国をまとめるための統一規格を発表した。
その内容は「丸くて乾燥した大麦の粒を3つ、縦に並べた長さを1インチとする」というものだった。これを英語で「バーリーコーン(barleycorn)」と呼ぶ。
親指よりはマシとはいえ、農作物だって粒の大きさはバラバラだ。現代の感覚からすると適当にもほどがある。しかし、当時の技術力では、できるだけ均一に育つ穀物を基準にするのが精一杯の「科学的標準化」だったのだ。
現代はミリメートルに間借りしている
大麦3粒の時代が長く続いたが、科学技術が発展すると、より緻密な基準が求められるようになる。
そして1958年。アメリカやイギリスなどの英語圏の国々が協定を結び、1インチの長さを完全に固定した。
その定義は「1インチ=正確に25.4ミリメートルとする」というものだ。
なんとも皮肉な結末である。ヤード・ポンド法の基本単位であるインチが、ライバルであるメートル法の「ミリメートル」を使って自身の長さを定義することになったのだ。インチは独自の基準を捨て、ミリメートルという盤石な土台の上に間借りする形で生き延びている。
なぜ「10」ではなく「12」で区切ったのか
メートル法にどっぷり浸かっている私たちからすると、なぜ「12分の1」なんて中途半端な割り方をしたのか理解に苦しむ。10で割ったほうが計算しやすいに決まっている。
しかし、古代の人たちにとって「12」は非常に使い勝手の良い、優れた数字だった。
12はとても割り切れやすい数字
10という数字は、2と5でしか割り切れない。半分(2分の1)にはできても、3分の1や4分の1にしようとすると小数点が出てきてしまう。
一方、12という数字は、2、3、4、6で綺麗に割り切れる。
1フィートの紐があったとして、それを半分に切れば6インチ。3等分すれば4インチ。4等分すれば3インチ。日常の商取引やモノづくりにおいて、小数を計算できなくても感覚的に分割できる「12」は、最強の実用数字だった。
時計の文字盤が12まであるのも、1ダースが12個なのも、1年が12ヶ月なのも、根っこにある発想はすべて同じだ。
身体尺から生まれたフィートとヤード
ここで、インチの親玉であるヤード・ポンド法の長さの単位を整理しておこう。
| 単位 | 身体尺としてのルーツ | 長さの目安 |
|---|---|---|
| インチ (inch) | 親指の付け根の幅 | 2.54 cm |
| フィート (foot) | 大人の足(かかとからつま先)の長さ | 30.48 cm(12インチ) |
| ヤード (yard) | 鼻の先から、伸ばした腕の親指の先まで | 91.44 cm(3フィート) |
すべて人間の身体がベースになっている。自分の身体を物差し代わりにしていた時代の手触りが、これらの単位には色濃く残っている。
インチと「オンス」の意外な双子関係
ステーキ屋に行くと「300g」ではなく「10オンス」などと表記されていることがある。ボクシングのグローブも8オンスや10オンスという重さで分けられている。
この重さの単位「オンス(ounce)」。実は、インチとオンスは生き別れた双子のような関係にある。
重さの12分の1か、長さの12分の1か
先ほど、インチの語源はラテン語で「12分の1」を意味するウンキア(uncia)だと説明した。
オンスの語源も、まったく同じウンキアなのだ。
古代ローマには「リブラ」という重さの基本単位があった。このリブラを12等分した重さを、やはり「ウンキア(12分の1)」と呼んでいた。
| 元の単位 | ラテン語の「ウンキア(12分の1)」 | 現代の英語 |
|---|---|---|
| 長さ(フィート) | 1フィートの12分の1 | インチ (inch) |
| 重さ(リブラ) | 1リブラの12分の1 | オンス (ounce) |
長さの12分の1をインチと呼び、重さの12分の1をオンスと呼ぶようになった。ウンキアという一つの言葉が、海を越え、時代を下るうちに二つの全く違う単位に枝分かれしたのだ。
ちなみに、現在のヤード・ポンド法では、1ポンドの「16分の1」が1オンスと定義されている。歴史の途中で基準が変わり、12分の1という本来の意味からはズレてしまった。言葉の歴史の面白さだ。
日本におけるインチと漢字の「吋」
日本では1959年以降、計量法という法律によって、取引や証明にヤード・ポンド法(インチやフィート)を使うことが厳しく制限されている。
公的な文書や商品のパッケージで、長さをインチだけで表記することは違法になる。だから必ず「センチメートル」や「ミリメートル」を併記するか、センチ換算のみで売られている。
口へんに寸と書く見事な当て字
とはいえ、完全に排除できたわけではない。特定の業界や趣味の世界では、今でもインチが飛び交っている。
日本にヤード・ポンド法が入ってきた明治時代、インチを表すための漢字が作られた。それが「吋」だ。
外国から入ってきた単位の音訳には、よく「口へん」が使われる。マイルは「哩」、トンは「噸」、ガロンは「𠺖」といった具合だ。
インチの場合は「寸(すん)」を組み合わせた。日本の伝統的な長さの単位である1寸は、約3.03センチメートル。1インチ(2.54センチ)と長さの感覚が非常に近い。
「西洋から来た、寸に似た長さの単位」。だから口へんに寸で「吋」。作った人のセンスが光る、とても優秀な当て字だと言える。
日本で今もインチが使われる身近な場面
法律で制限されていても、世界的な工業規格の壁は厚い。私たちの生活には、まだまだインチが潜んでいる。
- テレビ・ディスプレイの画面サイズ: 55型、13インチなど(大人の事情で「型」と言い換えることが多い)。
- 自転車のタイヤ: 26インチ、27インチなど。
- 車のホイール: 18インチアルミホイールなど。
- ネジやボルト: DIYをやると必ず出くわす「インチネジ」と「ミリネジ」の規格違い。
- カメラの三脚ネジ: 世界共通で1/4インチネジが採用されている。
- ピザのサイズ: アメリカ発祥のチェーン店では、MやLの基準がインチで作られている。
テレビやスマホの画面はなぜインチなのか
インチが生き残っている代表格といえば、テレビやスマートフォンの画面サイズだ。
ここで疑問が湧く。「55インチ」というのは、画面のどこを測った長さなのか。縦でも横でもない。画面の斜めの長さ、つまり「対角線」の長さだ。
丸いブラウン管時代の名残
四角い画面なのだから、素直に「横幅〇〇センチ」と言ってくれたほうが直感的に大きさが分かる。なぜわざわざ斜めを測るのか。
理由は、昔のテレビが「ブラウン管」だったからだ。
初期のブラウン管は、製造技術の都合で丸いガラス管(円形)をしていた。丸い画面の大きさを表すのに、いちばん分かりやすいのは「円の直径」だ。
その後、技術が進んで画面を四角く切り取れるようになっても、大きさを比較するために「元々の丸い筒の直径」を測り続けた。長方形の対角線は、その長方形を囲む円の直径と等しい。
今の液晶テレビや有機ELは最初から四角く作られているが、業界の慣習として、丸いブラウン管時代の名残である「対角線」を今でも測り続けているのだ。
単位の壁が引き起こした宇宙開発の悲劇
世界中のほぼすべての国がメートル法に移行した現代において、アメリカだけが頑なにヤード・ポンド法(米国慣用単位)を使い続けている。
強大な経済力と技術力を持つアメリカがインチを手放さないため、航空機やIT機器などの分野では、世界中がアメリカの基準に合わせざるを得ない。
この「単位の壁」が、宇宙開発の歴史に残る大惨事を引き起こしたことがある。
火星探査機を墜落させた勘違い
1999年、NASAの火星探査機「マーズ・クライメイト・オービター」が火星の軌道投入に失敗し、大気圏に突入して燃え尽きてしまった。1億ドル以上をつぎ込んだ巨大プロジェクトのあっけない最期だった。
失敗の原因は、信じられないような計算ミスだった。
探査機のエンジンを開発したメーカー(ロッキード・マーティン社)は、推進力のデータを「ヤード・ポンド法由来の単位(ポンド・秒)」で納品した。一方、探査機をコントロールするNASAの運用チームは、そのデータを「メートル法由来の単位(ニュートン・秒)」だと思い込んで軌道計算プログラムに入力してしまったのだ。
たったそれだけの単位の勘違いで、探査機は予定より低い高度を飛び、宇宙のゴミとなった。インチやポンドといった歴史ある身体尺が、最先端の科学技術に牙を剥いた有名な事件である。
インチの由来に関するよくある質問
1インチは何センチですか?
1インチは、正確に25.4ミリメートル(2.54センチメートル)です。1958年に国際協定で厳密に定義されました。
インチの語源は何ですか?
ラテン語の「ウンキア(uncia)」が語源です。ウンキアには「12分の1」という意味があり、1フィートの12分の1の長さであったことから、この名前がつきました。
インチの漢字「吋」はどう読むのですか?
そのまま「インチ」と読みます。日本の長さの単位である「寸(約3センチ)」とインチの長さが近いため、外来語であることを示す「口へん」に寸を組み合わせて作られた当て字です。
インチとフィートの関係は?
12インチが集まると1フィートになります。フィート(足の大きさ)が基本となり、それを12等分したものがインチ(親指の幅)です。
なぜテレビやスマホの画面はインチで測るのですか?
アメリカでテレビが発展したためインチが定着しました。また、対角線で測るのは、昔のテレビ(ブラウン管)が丸い形をしており、その大きさを円の直径で測っていた名残です。
単位には人間の営みが詰まっている
1フィートの12分の1。
親指の幅。
大麦3粒。
インチという単位の歴史をたどると、定規やメジャーがなかった時代に、なんとかして物の大きさを揃えようと悪戦苦闘した人びとの息遣いが聞こえてくる。
ミリメートルで寸分違わずモノを作れる現代からすれば、大麦を並べて長さを決めるなんて笑い話に思えるかもしれない。だが、そんな泥臭い身体尺の延長線上に、今の豊かな物質社会が築かれている。
次にスマホの画面サイズを調べるときや、自転車のタイヤを眺めるとき。そこに潜む「古代ローマの言葉」と「イギリスの麦」の歴史を思い出せば、数字の羅列が少しだけ面白く見えるはずだ。